いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

月見酒一つあたしもいただくわ

午前3時に目が覚めた。いや孫娘がである。私は既に1時に起きて孫の寝相を見ながらブログを書いていた。

一階和室に私と孫が、二階にカミさんが寝ていた。お兄ちゃんの寝相はそうでもないが、妹のは半端でない。掛けた二枚の毛布をはがしまくり、体操選手の床運動よろしく、三枚敷いた布団の隅から隅まで満遍なく転がり寝返るから、その度に毛布を掛け直すのが大変。野原を飛び回るバッタを捕まえるごときである。まったく寝ているときまでお転婆娘なのである。そんな中でお兄ちゃんは泰然と寝息を立てているのだから、それはまたそれですごい。

昨日の夕方、孫のママからカミさんにメールが入り、今日のミニバスケの集合が午前7時10分になったので、それに間に合うように連れて帰って来てほしいと言ってきた。集合時間がそうならば小田原の家には少なくとも6時半までに着いていないといけない。となれば伊豆を出発するのは5時か。孫どもよ、明日は5時起きでそのまま小田原へ帰るぞと気合を入れたら、もともと早起きの孫娘が3時にパッと目を覚ました。一方お兄ちゃんは、はしゃぐ妹をうるさいとたしなめ、毛布に深く潜り直してエネルギー温存の構え。選手として試合に出るお兄ちゃんとそうでない妹との差が現れた感じだ。

着替えのカゴに用意してあった試合のユニホームを孫二人に着せ、伊豆の家を出たのが5時7分。徐々に白んでくる空に富士山のシルエットが浮かぶ。ほら富士山だよと孫に言っても、孫の注意は煌々と照らすコンビニの明かりに向くばかり。コンビニってこんな朝早くからやってるの? そうだよ、朝も昼も夜もずうっとやってるんだよ。お休みしないの? そう、働く時間を決めて24時間交代でやってるんだよ。 へええ、そうなんだ。おやっ、今日はコンビニに寄ってと言わないぞ。朝早すぎてまだ頭が眠っていたか。

箱根峠は霧の中だった。カミさんはそのことを心配していた。箱根越えは霧がかかるから嫌いと以前も言っていたっけ。しかし今回、前を大型トラックが3台連なって走っていて、トラックの横腹に光るランプが車間距離保つ目安になってくれたことで心細さも和らいだらしい。トラックが前にいてくれて助かったと言っていた。小田原の家へは6時20分に着いた。所要時間1時間13分。

そんな早くに試合があると知っていたら孫を伊豆に連れて来なかったのに、とカミさんがぼやくのも無理からぬところ。でもおそらくママは集合が朝早いことを最初から知っていたんでしょう。だから着替えのカゴに二人分のユニホームを入れておいた。今回はママにしてやられましたな。

7,268歩。

写真は、藤沢のマンションのベランダから見た仲秋の名月。叢雲に見え隠れしていたが、ちら見気分でまたそれもよし。月見酒には支障なし。(あ)

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