いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

念仏や八百年の秋うらら

13,513歩。

写真は、藤沢にある時宗総本山遊行寺山門と宗祖一遍上人像。自宅マンションからここまで歩いて37分。距離3.6km。5.7km/h。

6.0km/hを意識して早足で歩いたつもりだったが目標値に届かなかった。途中3箇所で立ち止まって写真を撮ったのがいけなかったか。でもこうして寄り道するのがいいんだよね。

実は、今日は江ノ島まで歩くつもりでいた。そのつもりで藤沢橋まで歩いたら、突然、遊行寺に立ち寄ってみたくなった。特に何を見たいということもない。ただ何となく寄ってみたかった。

藤沢橋の50mほど手前に赤い遊行寺橋がある。そこを渡った正面が遊行寺の山門。遊行寺の正式名称は清浄光寺という。へええ、そうだったんだ。そんなことも知らないで今まで藤沢に住んでいたんだから、何ともお目出度い話です。

清浄光寺という名称もさることながら、宗祖である一遍上人についてもよく知らなかった。「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで浄土に行けると説いた人、踊り念仏を広めた人くらいの知識しか持ち合わせていない。まるで小学生レベルである。

全国的にその名を知られた名僧なのに、地元の人がよく知らないのでは笑われる。これではいけない勉強せねばと思って家に引き返して来た。これで今回またしても江ノ島はお預け。

一遍上人ってどんな人? と孫に訊かれたときに、こんな人だよくらいは答えたいと思いネットに当たって幼児向けにまとめてみた。こんな感じです。

一遍上人は、今から800年ほど前の鎌倉時代の人です。四国の伊予に生まれました。今の愛媛県です。もともと武士の子でしたが、10歳でお母さんを亡くし、お父さんの勧めでお坊さんになりました。25歳のときにそのお父さんが亡くなり、生まれ故郷の伊予に一旦戻ります。35歳で再びお坊さんの生活に戻り、信濃善光寺を始めとして日本各地を転々として修行に励みます。「牛にひかれて善光寺参り」ということわざにもある、あの善光寺ですね。「南無阿弥陀仏」と書いたお札を人々に配りながら、南無阿弥陀仏と一所懸命唱えれば仏さんのいる清らかな世界に住むことができますよと教えて回りました。唱えるだけでいい、それだけで楽になれるのなら私にもできる。多くの人々はそう思ったことでしょう。たちまち一遍上人の教えは人々の心に染み込んでいきました。一遍上人はそのときの政治の中心だった鎌倉でぜひとも自分の教えを広めたいと思いましたが、鎌倉入りを快く思わない人々の手によって捕らえられ、市中に入ることはできませんでした。しかしその後も踊り念仏をしながら各地に入門者をどんどん増やしていきます。そして、一人でも多くの人が安らかになれますようにと願いながら、50歳でその生涯を閉じました。お札を配ったときに書いてもらった名前の数は250万人分もあったそうです。(あ)

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