いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

ふるさとの寄する思い出秋の浜

7,905歩。

写真は、私の生まれ故郷の浜の風景。亡母がアルバムに貼って大切に仕舞ってあったうちの一枚。たぶん私が小学校に上がるか上がらないかくらいの昭和30年代前半に撮ったもののようだ。誰が撮ったのだろう。そして誰を撮ったというのでもないこの写真を、なぜ母は大切に仕舞っておいたのだろう。

母は写真を見るのが好きだった、というか見せるのが好きだった。私が東京の大学に進み毎年帰省するようになると、母は待ってましたとばかりに神棚の下からアルバムを取り出し、あれこれ写真の説明を始めるのだった。毎年同じ説明を聞かされるから、写真に写っている人物はだいたい名前と一緒に記憶される。しかし、この写真についてだけは説明を聞いた記憶がない。おそらく母自身も、どうしてこの写真がアルバムに貼られてあるのか分からなかったのではないだろうか。

父が死に追って母が死に、青森の実家は解体された。解体する際、母の遺したアルバムを全て私が引き取ることにした。アルバムから写真を一枚一枚はがし、今はダンボール一箱にまとめて藤沢の自宅に保管してある。同時にスキャンしてiCloudにも保存し、親戚家族がいつでも見られるようにしておいた。

ときにこの写真は何をしているところだろう。獲ってきた魚を干しているところだろうか。後ろの家は住居用ではなく漁具を置く小屋である。鍵がかかっていないからかくれんぼには持ってこいの隠れ家だった。磯の臭いの染み込んだ漁網の中に身を隠したことを思い出す。フナムシがいたるところに這っていた。

右手に組まれたやぐらは網の干し場で、こちらはもっぱら鬼ごっこに使われた。ここで私はあるとき、年下の子に石をぶつけられ、その石が運悪く生え変わったばかりの犬歯に当たり歯を失くしてしまった。以来ずっとそのままで年を重ねてきた。煙草を吸っていた頃は、くわえ煙草が挟まってちょうどいいやとうそぶきながら麻雀牌をかき混ぜていたが、30年ほど前に茅ヶ崎の歯医者でダミーの歯をブリッジしてもらった。今の息子さんのお父さん(院長先生)にそうしろと言われてそうした。茅ヶ崎の歯医者とはそれ以来の付き合いで、今も伊豆から通い続けている。

よくよく見るとこの写真、今にも磯の匂いが漂ってきそうな写真だ。匂いというのは、目で見たもの耳で聞いたものよりも、よく記憶されているものらしい。一度記憶された匂いは一生忘れないのだともいう。さすれば私がこの写真から磯の匂いを感じるのは、生まれたときから嗅いできた匂いが頭に染み込んでいるからなのだろう。そう、この風景の中に確かに私はいたんだなあ。(あ)

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