いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

台風の傷痕癒す温泉場

台風の影響による豪雨に耐え切れず、とうとう鬼怒川が決壊した。鬼怒川はこの夏一泊旅行した近くを流れる川である。溢れ出た川の水が常総市内の住宅地に流れ込み、逃げ遅れた住民がベランダや屋根から救助を待っている様子がテレビに映し出されていた。家に閉じ込められたまま流された人や安否の分からない人もいると聞く。

かつてこのような水害は、日本全土の川の流れるところすべてで発生していた。家を流され田畑が水に浸かる被害は枚挙にいとまがなかった。それを防ぐために国を挙げて上流にダムを造り、中流下流に護岸工事を施したのではなかったか。

もうこれで洪水が起きないはずだったのに起きてしまった。今回の決壊は想定をはるかに超える降雨量がもたらしたものに違いない。すさまじい自然の猛威を目の当たりにし、まったくなす術がなかった。恐るべき自然の破壊力である。

ひとたび自然が暴れ出したらとても人間の手に負えるものではない。人間が自然に勝てるわけがない。そんなことは誰でも知っている。そんなとき我々の先祖は八百万の神に祈った。自然の怒りを鎮めるためにひたすら祈った。心をこめて祈ったところでどうにもならないことは、これまた誰でも知っている。でも祈らざるをえない、祈らずにはいられない。

話は変わるが、ここへ来て富士山の噴火がささやかれている。もし仮に最新科学技術で富士山噴火の可能性を解明できたとしても、しかし科学の力では噴火そのものを防ぐことはできない。では科学の力が及ばないとき人間はどうするか。そういうものだとあきらめて潔く運命をともにするか。それもいいだろう。でも最後の最後まで生きようという意志が残っていたら、私は何かに祈るのだと思う。それが人間に残された最後の力だと思う。

鬼怒川決壊被害の全容はまだ明らかになっていないけれど、被災された方々にはここに心からお見舞い申し上げます。

あやめ湯(17:41)1→2人。湯から上がったらマイ桶氏、やや遅れて米朝氏がやってきた。その二人が顔を合わせただけでその場にぱっと和やかな雰囲気が漂う。今日はどんな話題で盛り上がるんだろうと風呂場でのやりとりを想像しながら、お先に、おやすみなさいと帰ってきたことだった。

7,166歩。

写真は、伊豆長岡の順天堂病院前の土砂崩れ。昨日のあやめ湯で話題になったので今日見てきた。ちょうど弘法の湯と病院前のお店屋さんとの間の空き地で、建物に被害がなくてよかった。バス通りにさらに土砂が崩れ落ちないようにと、頑丈な鉄柵が打ち込まれ大きなブロックの塊が並べられていた。(あ)

f:id:jijiro:20150911051222j:plain