いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

ゆるゆると富士の青田をローカル線

あやめ湯(17:30)3→7人。今日のあやめ湯はとても賑やかだった。

マイ桶氏が、昨日の雨はちょうどいいお湿りだった、農家もひと安心だろうと私に言う。そうですね、でも少し降りすぎましたかねと私が言おうとしたら、それまでおとなしく体を洗っていたミスタービーン氏がぱっと振り向いて、草刈りしても埃が立たないから楽だよと話に加わる。ビーン氏はそういうお仕事をされているのだろうか。するとすかさず米朝氏が、どこの草を刈るって? と突っ込んできた。それを皮切りにビーン氏と米朝氏との間でシモネタが炸裂し、たちまち風呂場は爆笑の渦で大盛り上がり。

ビーン氏が、昔は長岡にもお背中流しましょうかというサービスがあってと言うと、米朝氏が、後ろはただだけど前は金を見せねばならないと返す。思わずぷっと吹き出してしまう。この類のやりとりが実に面白い。プロのお笑い漫才顔負けの掛け合いである。この手のネタがその後ばんばん飛び交うのだけれど、ここにその内容を示せないのがとても残念です。

思うに話をシモネタに誘引しているのは米朝氏なんだな。とても穏やかで好々爺然とした風貌ではあるけれど、昔の下田は遊ぶのに面白い街だった、それが天皇が来るようになってすべてこれ(指で×を作る)になったと言うあたりから推して、なかなかどうして昔はかなりの遊び人だったと思われる。

こういう人たちから昔の話を聞くのはとても楽しい。図書館に残る郷土史などの資料からは得られない生の風俗史を学ぶことができる。しかも、これが共同湯だからいい。例えばこれを学校や公民館などの講演会に仕立ててご覧なさい。裏の朗らかな本音は出っこないんだから。こうして語り部たちが健やかなうちに、しげくあやめ湯に通うとしよう。楽しい昔語りに篤と耳を傾けていこう。語り部のみなさん、これからもずっとずっと長生きしてくださいね。

3,803歩。

写真は、霞む富士山を背にして走るいずっぱこ。夕方、あやめ湯へ行く途中で踏切に引っかかり、とっさに来た道を引き返して田圃の畦道から撮った。このシャッターポイントは、いつかここから電車と富士山を撮ってみたいと思っていた場所で、走り去る前の電車にぎりぎり間に合った。ちなみにこの電車は右から左へ走っているように見えるけれど、実は逆で三島行き。左から右へ走っている。これが修善寺行きだったら、たぶんシャッターは間に合わなかった。(あ)

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