いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

本刻み独り供養の盂蘭盆会

あやめ湯(17:50)3→7人。今日は少し遅めの時間で顔見知りもいないと思いきや、いました、マイ桶氏が。今日の話題は高齢になった芸妓衆の話。

若い頃は座敷にお声がかかり羽振りもよかった。金持ちのお偉い人の玉の輿に乗れた人は幸せだが、大抵は独り身で身寄りがないまま七十八十の高齢になった。今はみんなあちこちガタついてきて足腰も弱くなったから、この上の(源氏山のことか)神社まで登ることもできなくなった。だから、今日も私が上まで登って神社の戸を開けて風を入れてきただよ。

マイ桶氏は長岡の芸妓衆とも親しいのだろうか。う〜ん、なかなか謎の深い方です。

1,268歩。

写真は、文庫本の「自炊」をしているところ。西日をもろに浴びての作業です。これで読もうと思って積んでおいた文庫本がすべて片付いた。これまでPDF化してiCloudに保存した冊数は相当数になるが、問題は、いつ読むの? ということ。とりあえず、いつでもどこでも読めるようにしただけで、いつでもダウンロードして読んでいるわけではない。

読みやすさからいえば、普通の本の方がはるかに読み勝手がいい。電子書籍の登場で街の本屋は早晩消える運命にあるのではないかと思ったりもしたが、今のところそうなっていない。本は実際に一枚一枚指でページをめくったり、線を引いたり、書き込みしたり、角を折ったり付箋を貼ったりできるのがいい(PDFにしたやつもできなくはないが面倒臭い)。

書き溜めたブログが本になって出版されるくらいだから、まだまだ紙の本は廃れない。絵を動かしたり音を流したり、電子書籍もいろいろ試みてはいるが、今のところ読者がそちらに大きく興味を向けるふうにも見えない。表現手段としては電子書籍の方がはるかに多様に思うのだが、世の読者はそれを余計なお世話と見るのだろう。本を読むのは、何ものにも邪魔されず自ずからの思考を味わうためなのだ。

携帯端末で読むときはバッテリーの減り具合が大いに気になる。私のiPhoneの場合、朝100%の充電が夕方には20%以下になり、赤い帯がだんだん痩せていくのを見るにつけ、何とも心細くなってしまう。殊に旅先では充電の確保は重要で、そのことを今回の丹後半島周遊の旅で痛感した。

さて、これからはPDF化した本をiPhoneで読むことになるだろうが、欠点は、読みたい本を本棚からぱっと取り出すようなわけにはいかないということ。本棚だと全体を眺めわたせるけれど、iCloudだとそれができない。本棚の何段目のどこそこにこれこれの本があるとの見当ができない。一応、著者別に分類してあるが、スクロールして探すのが面倒だ。

でもまあ、これまで膨大な時間を費やしてPDF化してきたわけだから、その顔を立てて、せいぜい頑張って心に栄養を届けましょ。(あ)

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