いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

夏星や今もまたたく駅の道

五木寛之大河の一滴』を読んでいたら「<言葉>というものが父や母や、あるいはもっともっと前の血のつながった人たちから、ぼくに托された大切な宝物のような気がしてなりません」と書いてあった。五木寛之にとって筑豊の言葉が大切な宝物であるように、私にとって津軽の言葉は同じように私の大切な宝物である。

私は青森に生まれ高校を卒業するまで青森で育った。学校の教科書を読むときは共通語を使い、それ以外は津軽弁を話した。いわばバイリンガル(?)である。それが当たり前だった。しかし、18歳で上京してからは言葉に対する劣等意識みたいなものもあって津軽弁を封印し、ぎこちなくも共通語を話そう話そうとしてきた。

そういうふうにして今日まで共通語を話してきたつもりだけれど、発音の襞に今なお津軽弁のイントネーションが染みついていて、それがどうあっても落ちない。横浜の学校に勤務していたときに創立10周年記念事業の手伝いをしたことがあって、そのときに録音した座談会の自分の声を聞いてはっきり分かった。

どうあっても落ちないものならば無理して落とすこともない。というか落とせない。それが私のアイデンティティーなんだ。ならばあるがままの自分を出せばいい。そんな気持ちから立ち上げたのが弟ブログ「津軽三三爺譚」です。この夏休みを利用してもう少しマシなものにしようと思っています。

6,994歩。

写真は、小田急江ノ島線藤沢本町駅。大和での飲み会の帰りに撮った。横浜の職場で退職を迎えるまで11年間お世話になった駅である。その間ずっと気になっていたのが、この駅のHommachiというローマ字表記。これは正しくはHonmachiではないのか。

気になってはいたけどこれまであえて調べることもなく、そのままうっちゃっておいた。で、今日、ネットに当たってみたら、東京大学教養学部英語部会/教養教育開発機構の「日本語のローマ字表記の推奨形式」というページにこんなことが書かれてあった。ーー「ん」は b, p, m の前ではしばしば m と書かれますが、単純化するために、すべての場合において n を使うことを勧めます。ーー

つまり、b,p,mの子音の前の撥音は表記がmだったりnだったりして一定していないということのようだ。このb,p,mはいずれも発音するときに唇が閉じられる音である。nは唇が閉じられないで鼻に抜ける音である。だからb,p,mの前にくる「ん」は、次に唇を閉じる音がくるぞ、そのために一つ前の段階で唇を閉じる準備をするぞというのでm音になり、表記も発音どおりのmとするのではないか。そんなふうに推測します。

でも、パソコンのローマ字入力はnを打つよなあ。文具会社のトンボ鉛筆Tombowだ。このあたりのnとmの使い分けが定まっていないので先の推奨形式の提案になるのだろう。私も個人的にはnに統一することでいいと思う。(あ)

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