いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

やおよろず命みなぎる夏の庭

あやめ湯(17:20)2→3人。8.192歩。

写真は、愛用のデイバッグ。これに教材ノート、教科書、iPadWi-Fi、ポータブルハードディスク、ケーブル、薬バッグ、折りたたみ傘などを詰め込んで、通勤に使っている。もちろん藤沢と伊豆の往復もこれ一つ。中に小さなポケットが10個ばかりあって、イヤホンとかスタイラスペンとか印鑑とかの小物を仕舞うのに重宝している。以前はソフマップで買った、ノートパソコン持ち運び用のショルダーバッグを使っていたが、これを提げて自転車を漕いだりすると、時たま背中から腹の方へずりっと滑ってくることがあって、いまいち使い勝手がよくなかった。

ショルダーバッグからデイバッグに替えて、さあこれで自転車に乗るのも楽ちんと思っていたら自転車の盗難に遭った。まったく忌々しい。

盗難に遭ってから田京駅の駐輪場を通るたびに、もしかして自転車が戻ってきてはいないかと、停めてある自転車をねめ回したりしているが、まあ普通は出てこないよなあ。その自転車今頃どうしてるかなあと思うにつけ、妙な考えかもしれないが、その人が今も大事に使ってくれているのだったら、それはそれでいいかと思うところもある。言うまでもなく盗難は歴とした犯罪である。人の物を勝手に盗むとは言語道断である。罰せられてしかるべきである。しかしその一方で、これくらいの罪なら許してもいいかとも思ってしまうのだ。

世の中には、人を殺してみたかったとしれっと言ってのける女子大生もいる。かと思えば酒を飲んで時速100キロを超す猛スピードで赤信号に突っ込み、仲睦まじく暮らしていた家族の命を一瞬にして奪ってもなお信号は青だったと言い張る自己保身のちんぴらもいる。そんな、人の命を何とも思わないような凶悪犯罪と比べたら、人様の自転車を断りもなく乗り去るくらいたいした罪ではないと言ったら言い過ぎだろうか。

少なくとも私は今、かつての自転車が戻って来なかったら来なかったでそれでもいいかなと思っている。愛着はあるけれど、その自転車がないと本当に困ってしまう身ではない。バイクがあるし第一二本の足がある。そして命がある。家族がある。友がある。私はそれで十分なのです。(あ)

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