いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

紫陽花や幼心の澄み渡る

iPhone6Plusでのフリック入力に慣れるために、これまで遠ざかっていたTwitterを再開することにした。慣れるのには別にTwitterである必然性はなかったが、Twitterの入門書を読んでいるうちにもう一度やってみたくなった。で、アプリが残っていたので立ち上げてみたら、最初のつぶやきが2010年9月10日になっていた。なんと今から5年も前である。

あの頃は何でもかんでも新しいものに首を突っ込んでいたっけ。ただ単に「おはよう」とつぶやくだけのことにどれほどの意味があるのか、そう思いながらも、なぜ人気なのか、どれだけ便利なのか、まずは自分で実際に試してみよう、そんな気持ちから始めたのだったと思う。

著名人を片っ端からフォローし、そのつぶやきをしばらく追っかけていた。中でも茂木健一郎さんは暇さえあればつぶやいていて(それは今でも変わらないけれど)、あれほど多忙な方が、よくこれだけつぶやけるものだと驚いたりしたものだった。しかしそれでも当時は、140文字のつぶやきのどこに価値があるのかよく分からなかった。それでいつの間にかTwitterから遠ざかっていた。

今はどうか。Twitterを再開してみて、その価値が見出せたかというと、再開したばかりで正直まだよく分からない。昨日フォローしたばかりの津軽三味線奏者の吉田兄弟から、今日の午後3時頃に「沼津公演、まもなく開演致します」というツイートがあったけれど、おや今日の午後4時から沼津市民文化センターで公演があるんだねと知った程度で、それが私にとってどれだけの価値ある情報かというと、たぶん価値はない。チケットを買っていないから。

それでこのつぶやきを、チケットを買っている人が見たらどう思うかを考えてみた。吉田兄弟がつぶやかなくても時間がくれば幕は上がる。だけど、ここでつぶやくことによってチケットを握っている人は、吉田兄弟に親近感を抱くというか距離が狭まるというか、そんな気持ちを抱くのではないだろうか。そして観客は演奏を聴き終わったあとにリアルタイムでコメントをつぶやく。Twitterに価値を見出すとすれば、そういう使い方が一つポイントになるかもしれない。

4,373歩。

写真は、ベランダに身を乗り出して絵を描く孫娘。花といえばチューリップを好んで描いていたけれど、今回はアジサイにチャレンジ。小さい花弁(実はガク)を丁寧に描いていました。(あ)

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