いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

伸びやかに届け雲まで蔓アケビ

昔話の第3話「蚤と虱のできたわけ」を語りました。

津軽三三爺譚

私の手元にある本(PDF)に収録されているのは、青森県津軽地方と南部地方、それと下北地方に伝わる昔話である。その中から津軽地方のだけを拾い、私の体に染み込んでいる津軽弁で書き直した原稿を読み上げている。録音にはiPhoneのアプリを使う。

第2話は藤沢に戻っているときに録音したが、第1話と第3話は伊豆で録音した。伊豆はぼろ家で居間に囲炉裏があるから、ぼそぼそと昔話を語るのに雰囲気が出て気分も乗る。これに雨がしとしと降るような効果音を加えたらいい感じに仕上がるのではないかと思って、実は昨日、窓を開けて雨の音を録音してみた。ところが、音が拡がりすぎてiPhoneのマイクでは音を集められない。ざあざあという弱い雑音にしか聞こえない。雨を効果音にするのだったら、それ用のサンプルを別途手に入れないといけないな。

最終的にはこれらの語りに影絵か切り絵かの絵を描いてアニメ化しようと思っているのだが、3話作ってみて、下手に絵を入れない方がかえって昔話の雰囲気が増すのではないかと思うようになってきた。そもそもの昔語りのスタイルは、例えば囲炉裏端で火に手をかざしながら、あるいは餅を頬張りながら聞いたものでしょう。絵は聞く人の頭の中に描かれるものだったでしょう。「鬼」という言葉ひとつ取ってみても、聞く人がその言葉の響きから鬼の形相を想像してみる。この、想像するというのがいいのではないか、どうもそんな気がしてきた。

だいたい鬼そのものの姿は見えないわけでしょう。虎の皮のパンツをはいて鉄棒(かなぼう)を振り回す絵は、子どもの絵本用に誰かが可愛らしく描いたもので、およそ恐怖とほど遠い。豆まきのお面もそう。しかし、鬼婆と書けば鬼のイメージはまるで違ったものになる。今回の第3話に出てくる鬼は、本では鬼婆と載っていた。それを私が勝手に「婆」を取って語った。鬼婆を津軽弁でどう言うか分からなかったから。でももし鬼を私が絵に描いたら、たぶん鬼婆の絵を描くと思う。鬼にも男女両性がある。今回の昔話を聞いたあなたはどういう鬼を想像しただろうか。

あやめ湯(19:05)2→3人。361歩。

写真は、にょきにょき伸びるアケビの蔓。特に肥料も水も与えず放っておいたらこんなになった。ジャックと豆の木みたい。土を雑木林のそれのように、腐葉を敷いた状態にしているから、そこから栄養を吸い上げているのかもしれない。逆に丁寧に手入れを加えない方が伸び伸びと育つのかもしれない。人を育てるのもまた然り。(あ)

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