いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

幼子の師範となれり今年竹

修善寺の職場の教材室に、鈴木邦彦『文士たちの伊豆漂泊』(静岡新聞社)があったので借りて読んだ。挙げられている文士は、太宰治川端康成梶井基次郎三島由紀夫若山牧水井上靖の6人。

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この本で、太宰治が意外に繁く伊豆に足を運んでいることを知った。処女作『思ひ出』は沼津市志下で、『ロマネスク』を三島広小路で、『二十世紀旗手』を熱海で、『東京八景』を湯ヶ野で、『斜陽』を沼津市三津浜で、『人間失格』を熱海で書いた。太宰はよほど伊豆が好きだったと見えて、晩年にも、知り合いへの手紙に「将来は伊豆の三島あたりに住みたいのですが」と述べている由。

太宰は『老(アルト)ハイデルベルヒ』で三島の町をこう描写する。

「三島は取り残された、美しい町であります。町中を水量がたっぷりの澄んだ小川が、それこそ蜘蛛の巣のように縦横無尽に残る隈なく駆けめぐり、清冽の流れの底には水藻が青々と生えて居て、家々の庭先を流れ、縁の下をくぐり、台所の岸をちゃぷちゃぷ洗い流れて、三島の人は台所に座ったままで清潔なお洗濯が出来るのでした」

これは、三島の白滝公園から三島大社までのせせらぎに沿う「文学の道」の石碑にも刻まれている。いい町です。私も三島は大好きです。

梶井基次郎が偶然にも湯ヶ島の湯本館で『伊豆の踊子』執筆中の川端康成と会っていたことも、この本で知った。湯本館では川端が執筆した部屋を公開しているという。よ〜し、今度また湯ヶ島へ行って見てみよう。あと、太宰ゆかりの沼津市志下の酒屋と河津の居酒屋も。こっちはバイクだと呑めないからバスかな。

9,367歩。

写真は、玄関脇のヤマツツジ。孫のチャンバラの犠牲となり、腰の高さにあったつぼみが切られた。また、玄関手前のブルーベリー。これも腰の高さまでようやく成長した若い枝がへし折られた。やんちゃはこれにとどまらず、和室濡れ縁前の縞大名竹にも及ぶ。こちらは物置に仕舞ってあった剪定ノコギリでやられた。雷を落としても本人は悪びれる様子もなくケロッとしている。全く嫌になってしまう。(あ)

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