いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

若鮎の跳んでミスタージャイアンツ

1番センター柴田、2番セカンド土井、3番ファースト王、4番サード長嶋、5番ショート黒江、6番ライト国松、7番レフト柳田、8番キャッチャー森、9番ピッチャー堀内。

「巨人大鵬卵焼き」という流行語がはやった昭和40年代初期、私は青森の陸奥湾に面した半農半漁の村から隣の温泉街の外れにある中学校までバス通学をしていた。その頃、手作りのバットを持って砂利石の浜まで石打ちをしによく出かけた。浜は国道4号線を渡って家を二軒ほど行った先にあった。そこで適当な太さの角材を鉈(なた)で削って握りやすくしただけのバットで、1番センター柴田と自分で唱えながら、沖へ向かって石を打つのである。

今思えば寂しい独り遊びのようだが退屈はしなかった。王、国松、森の打席では左打者になって打った。柴田のときはかわりばんこで右左を打ち分けた。おかげで自然に右でも左でも打てるようになり、高校の体育の授業でソフトボールをするときは、左打者がほとんどいない中で得意になって左打ちをしたりした。

好んだ守備はサードだったか。よく覚えていない。人気のポジションだったから、回毎に交代でやっていたかもしれない。サードといえば長嶋だった。流れるような華麗なグラブさばきは絵になった。ショートゴロを奪うようにしてサードゴロにした。みんな憧れて真似をした。私もした。私の心の中ではミスタージャイアンツ長嶋茂雄は、今でも永遠不滅のヒーローなのである。

長岡南浴場(17:20)1→2人。徒歩8,752歩。

写真は、「広報いずのくに」今月号(5月号)に載った特集「長嶋茂雄ロード誕生」の記事。合成写真だけど、富士山をバックにしたミスタージャイアンツの、躍動感あふれる姿がとても印象的だ。

記事によると、長嶋茂雄ロードは、大仁商店街の通りと、商店街のホテル入口交差点から大仁ホテルまでの坂道をいうとある。大仁ホテルの玄関まではバイクで一度行ったことがあるが、なかなか結構な坂である。坂を上りきったところにホテルは建っていて、ともかくそこからの眺望は抜群。富士山は無論のこと伊豆半島をぐるり360度見晴るかす。ミスタージャイアンツがぞっこん惚れこみ、自主トレの場と決めたというのもうなずける。(あ)

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