いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

思い出深い雑誌

先月、押入の奥に突っ込んであった本の束を廊下に積んで、そのまましばらく放ったらかしにしておいた。いずれ自炊して廃棄するつもりだったが、なんやかんや忙しく、これまでその時間が取れないでいた。ようやく今日まとまった時間ができたので、それで一気にやっつけてしまおうと束ねた紐を解いたら、中から懐かしい雑誌が出てきた。

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昭和51年の「群像」6月号。こんなぼろぼろの雑誌を今まで棄てないでいたのにはちょっとした訳がある。その雑誌には、当時大学4年だった私の頭に強烈なパンチを食らわした、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が載っているのだ。そしてこの雑誌は、私が初めて買った記念すべき文芸雑誌なのだった。だから、ずっと傍に置いておきたかった。棄てきれなかった。

大学4年のときに教わった先生がこの群像新人文学賞を受賞した作品を、講義の中で、実に衝撃的な作品だと紹介していたので、その日の帰りに渋谷の大盛堂書店で買ったのだった。下宿へ帰る東横線の中で読み始めたら、しょっぱなからいきなりガツンと衝撃を受け、頭がくらくらしたのを覚えている。

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今日改めて「群像」を手に取ったら、受賞者の言葉が載っていた。「昔は医者になりたかった。カストロ将軍がキューバに医者を! と叫んでいた頃だ。(中略)しかし高校一年の時、佐世保は戦場になって多感な15歳は狂ってしまった。世界を知るためには革命に参加することだと誰かが言っているが、それ以後はもう時代の混乱に比例してムチャクチャになってしまった。そしてハッと気付いた時に、静かになった世の中では、鼻持ちならない無傷の奴らが高いところでニヤニヤ笑っていたのだ。今に見ていろとずっと思ってきたし今でもそれは変わらない。全く気が重くなるやっかいな時代だが、何とかやっていかなければならない」。新人にして既に堂々たる構えができあがっていた。「やっかいな時代だが、何とかやっていかなければ」という姿勢は今も一貫している。やはり、並みの作家ではない。

徒歩7,138歩。

写真は、庭の馬酔木。満開を過ぎた梅が散り始め、気づいたら、その梅の木の下で馬酔木が白い房を垂らしていた。さらにその下のブルーベリーの苗は黄緑色の小さな芽を出し、そして、梅の花が散り終える頃には、隣の椿が赤い花を咲かせる。こうして我が草ぼうぼうの庭に、今年も本格的な春がやってくるのだ。草の戸も春静やかにありがたし(あ)

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