いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

「酒痴」という酒の呑み方

吉野弘詩集』に「酒痴」という詩を見つけた。

一日の終り

独り酒の顛末を最後まで鄭重に味わう

酒痴

殆ど空になった徳利を、恭しく逆さにして

縁からしたたるものを盃に、しかと受けとる

初めに、二、三滴、素速く、したたり

やがて間遠になり

少し置いて、ポトリ

少し置いて、ポトリ

やや長く途切れたあと

新たに、ゆっくり

縁に生まれる、ふくらみ一つ

おもむろに育ち、丸く垂れ、自らの重さに促されて

つと、盃に飛びこむ

一滴の、光る凱歌

……(以下略)

どうにも、しみったれた酒の呑み方だが、こういうふうに酒を呑んでいる姿を想像していると、何ともいえぬ愛着が湧いてくる。仲間と呑むときは、たとえ手酌であっても決してこういう呑み方はしない。独りで、深夜に、しんみり呑む酒ならではの味わいだ。酒をこよなく愛する者の呑み方だ。したたり落ちる最後の一滴まで神経を研ぎ澄ませ、徳利を逆さにする。その間の動きはすべて「一滴の、光る凱歌」の一点に結実する。そして、音のない世界の中で、幾ばくかのほろ苦さを酒の友に、ただ「一日の終り」を愛おしむのだ。

長岡南浴場(16:50)3→2人。徒歩6,009歩。自転車104kcal。

写真は、三島の職場前の道路工事。今日行ったら真新しい白線が引かれてあった。いよいよ工事も終盤か。交差点は信号機のないラウンドアバウトではなく、従来通りのもののようだ。歩道の幅は広めだが、一部まだ溶岩の岩盤がむき出しになっている箇所があって、そこだけが狭い。どうするんだろう。溶岩の皺に身を寄す霜柱(あ)

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