いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

「尾形光琳展」を観た

三島の仕事の帰り、熱海のMOA美術館へ寄って、一昨日から始まった「尾形光琳300年忌記念特別展」を観てきた。今、熱海は熱海梅園、あたみ桜と花のシーズン真っ只中で、駅前にはそれらしい団体客も多く見られた。その花見、梅見の客のいくらかはMOA美術館へ流れたのかもしれない。あるいはその逆か。いずれにしてもシャトルバスは混んでいたし、美術館内も多くの人で賑わっていた。

私は、尾形光琳については何の知識も持たない。三島の同僚から割引券をいただいたとき、一緒にパンフレットもいただいていたが、作品を観る前からそれに目を通すことはあえてするまいと思っていた。予習なしのぶっつけ本番で、自分の心に訴えかけてくる何かを確かめたかった。「国宝」というレッテルに目がくらまないように観たいと思った。

そういう目で燕子花図屏風を観た。紅白梅図屏風を観た。観て、これは凄い、とは思わなかった。傲慢かもしれない。子どものそれと同じ無知のなせる鑑定かもしれない。しかし、観て、少なくとも私の心にガツンと響く何かは感じられなかった。

カキツバタの群生が、例えばスイセンだったらどうだろう。ススキだったらどうだろう。コスモスだったら、チューリップだったら…。また、左右に配置された紅白の梅を隔て、屏風中央で圧倒的な存在感を放つ、巨大なスズメバチの巣のようなものは一体何だろう。逆に紅白梅の存在を食ってしまっているのではないだろうか…。

お前は鑑賞力の欠片もないからそんなことが平気で言えるのだ、もっと勉強しろ出直せ、と言われれば、はい、と素直に忠言に従うしかない。ただ、これらの「国宝」を観て一つ思ったこと、それはいつか自分もぼろ家の襖に何か描いてみたいということ。もちろん絵の技術なんかありはしない。どうせぼろ家だという気楽さもある。でも描きたい。尾形光琳の絵から伝わってきたものは、自分も何か描いてみたいという衝動だった。これは自分でも意外だった。

徒歩13,968歩。自転車58kcal。

写真は、熱海駅の空に架かった虹。糸川であたみ桜を観ていたときは鮮やかな青空が広がっていたのに、熱海駅前のアーケードを出た途端、正に一転俄かにかき曇り、霰(あられ)がバラバラと音を立てて降ってきた。ぎりぎりセーフで駅舎に滑り込む。ほどなく霰は雨に変わり、その雨も電車が小田原に着く頃には止んでいた。雛人形飾る店舗の軒霰(あ)

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