いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

大晦日の仏壇

青森の実兄から、今日の大晦日の日付で仏壇の写真が送られてきた。父母の位牌が安置された仏壇の前には供物が並べられ、両脇には色鮮やかな献花が飾られている。仏壇の上の鴨居に掛かった父母の遺影は、穏やかに微笑みかけ、まめしくしてだが(元気でやってるか)と言っているかのようだ。

私の生まれ育った実家は今はなく、墓だけがその土地の寺に残っている。父母、祖父母、妹の位牌は、実家を解体するときに菩提寺の住職に魂入れをしてもらって、同じ市内の、別の土地に住む兄の家に移した。墓参りは、毎年夏に集う高校のクラス会への顔出しを兼ねて、盂蘭盆の前か後かに行っている。

元々私の退職後の心づもりの中には、青森に戻るという選択肢が含まれていた。しかし、カミさんの意向にその選択肢は含まれていなかった。雪の降らない土地に生まれ育ったカミさんからすれば、それは当然のことだったろう。まして還暦を越えて、親戚付き合いの濃い風土に身を投じる決心などできようはずがない。口にこそ出さなかったけれど、法要の帰りの新幹線で、車窓の雪景色を眺める横顔がそう語っていた。

その後、紆余曲折を経ながらも、今の伊豆に新たな拠点を設ける方向に落ち着いたのは、私がほとんど衝動買いみたいに勝手に決めてしまったこともさることながら、親戚付き合いのしがらみのない伊豆の方がカミさんとしても都合がよかったということなのだろうと思っている。

藤沢と伊豆を行ったり来たりする生活は、来年で三年目を迎える。当初は、全く自分勝手なんだから、と言っていたカミさんも、今ではすっかり諦めたふうで、月2回ほど伊豆で孫と遊ぶことを楽しみにするようになった。父さん、母さん、これでよかったんだよね。徒歩6,013歩。

写真は、藤沢の自宅から歩いて5分ほどのところにある御霊神社の本殿。夕方、散歩の帰りにふっと立ち寄ったら、既に電灯が灯り、初詣客を迎える準備が整っていた。社務所の縁側の前に簡易竈が3基並んでいたが、そこで甘酒でも振る舞われるのだろうか。初詣は、こういった地元の気取らないお社で十分ですね。父母の遺影微笑む大晦日(あ)

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