いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

食事の記録は無理

大場の病院で診察を受け始めた頃、病院の栄養士さんに用紙を渡され、これに一週間に摂った食事を記録して持ってきてくださいと言われたことがある。摂取カロリーが過多になっていないかどうかチェックするというのだ。一日三食、何をどれだけ食べたかなんて、いちいち書いてられません、デジカメで写真を撮るというのではダメですか? とささやかな反発をしてみたら、それでいいと許可を得た。で、毎回の食事を写真に収め、一週間後に病院へ行ってiPadで画像を見せたら、とてもバランスのいい食事ですねと褒められた(もちろん、褒められたのは私ではなく、料理を作ったカミさんなのだが)。栄養士さんにとっても、表より画像の方が分かりやすかったのかもしれない。

何を言いたいかというと、毎回の食事の記録をいちいち書いてなんかいられませんよね、ということが言いたい。ところが、いたんです、つぶさに記録していた人が。その人の名は、正岡子規。明治の時代に短歌・俳句の革新をした人として教科書にも載っている人です。その正岡子規が『仰臥漫録』に書いている。

「朝  粥四椀、ハゼノ佃煮  梅干砂糖ツケ

昼  粥四椀、鰹ノサシミ一人前、南瓜一皿、佃煮。

夕  奈良茶飯四椀、ナマリ節煮テ少シ生ニテモ  茄子一皿。

此頃食ヒ過ギテ食後イツモ吐キカヘス。

二時過牛乳一合ココア交テ

煎餅菓子パンナド十個許(ばかり)

昼飯後梨二ツ

夕飯後梨一ツ」

脊椎カリエスの病床にあってなおこの大食は驚愕に値する。正岡子規は、毎回の食事を命がけで食べ、命がけで記録していたのだ。壮絶としか言いようがない。

食事の記録をブログに書いたら面白いかも、なんて思わなくもないが、そんなの無理、無理。3日と続きません。記録を念頭に食べるなんて本末転倒。食事は楽しく摂らなくてはいけません。徒歩11,518歩。

写真は、藤沢のマンション近くにある城(たて)神明社の釣鐘。誰彼なくつき鳴らしてよく、あらぬ時刻にごお〜んと鳴り渡ったりする。釣鐘の余韻の中を年流る(あ)

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