いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

横須賀の餅搗き

横須賀のカミさんの実家で餅搗き。カミさんの実家には、今年92歳になる義母が独りで暮らしている。毎週日曜には、東京に住んでいる義兄夫婦が義母の面倒を見、木曜にはカミさんが世話をしに行く。私が義母に会うのは、年に一度のこの餅搗きくらいなもので、無沙汰しっぱなしである。

餅搗きは、私がカミさんと連れ添った年から毎年欠かさず行われている。かれこれ35年になるだろうか。それ以前にも行われていたかどうかは知らない。臼と杵がだいぶ年季が入っているところから推して、たぶん、カミさんが小さいときからやっていたんだろうとは思う。

義父は、餅米を蒸すのに燃やす薪を見つけてくるのがうまかった。タンス、机、椅子などを解体し、鋸と鉈で薪の大きさに整えたのを束ねて保管していた。だから、いわゆるホームセンターで売られているような薪は一度も見たことがない。その薪が、義父が亡くなって5年経った今も残っていて、今回の餅搗きにも大いに活躍した。でも、薪は全て廃材だから、燃やしたときに出る煙が半端じゃない。最初、これを普通の住宅地で堂々と燃やした義父の度胸に恐れ入ったりもしたが、そのうちこちらも慣れてしまった。35年前の当時は、近所付き合いとして焚き火の煙を受け入れる寛容があったのかもしれない。義父が亡くなり、代は義兄に変わったが、家伝の煙は今年も立ち上った。しかし、ご近所が当時のような寛容さで受け入れているかどうかは定かではない。恐らく九分九厘、迷惑千万と思っていることだろう。それでも顧みず強行するところは、しっかりDNAを受け継いでいるとしか思えない。

昼過ぎになって、ママの運転で小田原の孫が到着。孫が放たれて餅搗きの場が一気に華やいだ。ちょうど最後の一臼を搗くところで、今年新調した杵を孫に持たせて締めの一振りをしてもらう。その後、義母の長寿を祝って、みなで賑やかに搗きたての餅を食べたことだった。搗きたての餅はやっぱり旨いのう。とりわけ孫の搗いた餅とくれば、なおさらじゃ。徒歩2,977歩。

写真は、餅搗き初体験の孫。杵が重くて持てないから、叔父ちゃんに手伝ってもらった。なんだ、そのへっぴり腰は。ほれ、もっと腰を入れて。幼子の大きくなあれ杵重し(あ)

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