いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

寺山修司のこと

水野仁輔『カレーライスの謎』(角川SSC新書)を読んでいたら、寺山修司が『書を捨てよ、町へ出よう』の中で、「ライスカレー人間というのは現状維持型の保守派が多くて、ラーメン人間というのは欲求不満型の革新派が多い。それは(インスタント食品を除くと)ライスカレーが家庭の味であるのに比べてラーメンが街の味だからかもしれない」と述べていることを知った。『書を捨てよ、…』は学生時代に読んだ記憶があるが、今では本の内容をすっかり忘れてしまっている。そんなこと書いてあったっけ、確かPDF化して保存してあるだろうから、ちょっと確かめてみよう。そう思ってパソコンのSpotlightで検索したのだが、8冊ほどヒットした中に『書を捨てよ、…』は入ってなかった。もしかしたら他の本と勘違いしたのかもしれない。

言うまでもなく、カレーライス(寺山修司ライスカレーと言っているが)とラーメンは二大国民食である。大人も子どもも大好きだ。もちろん、私も両方とも好きである。カレーが家庭の味でラーメンが街の味との指摘は首肯できるが、現状維持型とか欲求不満型とかいうのはどうなんでしょう。カレーもラーメンも好きな人は、両方の型を兼ね備えているということなんだろうか。でも、そういう分析の仕方は、いかにも寺山修司らしいよね。
寺山修司といえば、高校1年のときに担任だった先生から、その思い出話を随分と聞かされた。先生が寺山修司の担任だった頃、学級日誌を彼一人に任せ、好きに書かせていたというのもその一つ。高校在学当時から俳句界ではその名を全国に知られた人だから、そういうこともあっただろうと思う。しかし、こと授業に臨む姿勢はというと、高校3年時に欠課が275時間もあったというのだから、今ならば完璧な「未履修」の不良生徒である。授業に出ないで何をしていたかというと、図書室で一人ひたすら本を読んでいたのだという。これで卒業式に総代として答辞を読んだというのだから(高取英寺山修司』(平凡社新書)、何をか言わんやである。
「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」という歌は、教科書にも収録されている人口に膾炙された歌で、私も好きな歌だが、大学時代の寺山修司の親友である山田太一に言わせると、「虚心に見ればいい短歌だと思うんだけど、最初は日活映画みたいな気がして『何だかメロドラマみたいな短歌だね』なんて言ったら不愉快な顔してたな<笑>」となる。小林旭主演の映画のワンシーンのようだとは私も思いますが、こういう世俗の裏路地に佇むスタイルが寺山ワールドなのでしょう。5,777歩。
写真は、藤沢の自宅近くにあるメルシャンの工場。散歩で前を通ると、ワインの熟成したえも言われぬ芳香が鼻孔を刺激して、歩みも自然と軽やかになります。我が影の濃く芳醇の散歩道(あ)
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