いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

三島ねぶたの下絵

三島ねぶたの下絵を描いてみた。使ったのは、お馴染みAdobeのflash CS3。だいぶラフな絵だけど、逆にラフな方が立体のイメージは摑みやすいかもしれない。なんて、無理矢理自分を慰める。題材は富士山と倭建命(ヤマトタケルノミコト)に採った。富士宮市にある富士山本宮浅間大社の社記によると、倭建命が東征のために駿河国を通った際、東国の賊徒の火攻めに遭った。しかし、倭建命は富士浅間大神を祈念して窮地を脱し、賊徒を征伐した、とある。下絵はその伝説に基づいたもの。

ちなみに、富士宮浅間大社は、かの坂上田村麿が平城天皇の勅命を奉じ、大同元年(806年)に現在の大宮の地に壮大な社殿を造営したという。坂上田村麿といえば、ねぶたの起源の第一等に語られる歴史上の人物で、青森県に生まれ育った者ならば歴史を学ぶ前からその名を知っているという有名人である。現在では、ねぶたの最高賞を「ねぶた大賞」と言って、ねぶた師と呼ばれるプロフェッショナルたちは須くこの頂点の「ねぶた大賞」獲得に血眼になるわけだが、昔はこれを、少なくとも私が育った高校時代までは「田村麿賞」と読んでいた。それほど田村麿という呼称には重みがあった。今ここに富士山と坂上田村麿との関わりを知り、ねぶたとの縁を思わないではいられない。三島でねぶたを作ることになったのは、歴史の底の見えない糸が結びつけた縁なのかもしれない。田村麿ねぶたと富士と繋ぐもの(あ)

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