いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

流木を拾う

暑い暑いを連発していたら、8月も残り僅かとなり、朝夕に吹く風はもうすっかり秋である。4月1日から始めたこのブログも、お陰様で一日も欠けることなく今日まで続いている。二日分をまとめて書いたりもしたが、こうして続けてこられたのは、一つには、いつまで生きられるか分からないこれからの日々を、何かしらの形で残しておきたいという思いがあるから。もう一つは、ブログ見てるよ、と言ってくれる人がいるから。これはもの凄く励みになっています。ブログを書くようになってから大きく変わったことがあって、それは、ブログのネタになりそうなことを、見てみよう、聞いてみよう、やってみようと思うようになったこと。朝起きてから夜呑んだくれて眠るまで、四六時中ネタを探すようになった。本を読んでいるときも、これ、ネタに使えそうかなと思える部分を、Evernoteに保存するようになった。PDF化した読み物はしおり機能を使って保存し、自炊する前の普通の紙の本(変な言い方)はFastEverで打ち込んでEvernoteに送っている。というわけで、夕方、辻堂の海岸に行ってみた。いい形の流木があれば拾ってこようと思ってトート・バッグを持っていった。ところが砂浜にはブルトーザーの轍が幾筋もあって、流木は粗方片付けられた後だった。よく見ると、200mほど先の江ノ島寄りの波打ち際に、それらしい漂流物群があった。潮が満ちてきていて、足が濡れずに済むところを歩いているつもりが、下手したら濡れてしまいそうなところまで波が伸びてきていた。漂流物から手頃な流木を選り分けてバッグに入れる。殆ど箸置きになら使えそうかなと思えるような小物ばかり。それらをちびちび拾って歩く。中にコースターとしてどうよ、といった良形のもあり、小物揃いだけれどそれなりに収穫はあった。拾い集めた流木を木彫りの野鳥の止まり木にしてもいい。満潮の砂のオブジェを崩し去る(あ)

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