いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

孫娘の早朝粘土

朝早く、枕元でガサゴソ音がするので目が覚めた。下の孫が昨日買ってやったカラー粘土を捏ねくりだしていた。携帯の時刻表示はまだ5時になっていない。全くこんな朝早くから人騒がせな孫だ。お陰で目覚ましのアラーム音が鳴る前に、バッチリ目が覚めてしまった。粘土は色ごとに卵型のケースに入っていて、孫娘は、それを一つ一つ開けていく。青色と黄色を混ぜると緑色、なんて口ずさんでいる。そんなの一体どこで覚えたんだろう。すると、6個目のケースからビニール袋に包まれた未使用粘土が出てきた。紫色の粘土である。昨日の段階で既に粘土が6色あることは知っていたはず。当然、紫色もチェック済みだと思うが、この色だけは手を出していない。紫色は子どもにとって馴染みの薄い色なのかもしれない。食いしん坊の孫娘は、昨日はアイスクリームとかハンバーガーとかの食べ物形を作っていたけど、そう言えば、紫色の食べ物ってそんな多くないよな。茄子くらいしか思いつかない。その紫色の粘土で何を作るのか注目していたら、細長く棒状にしてからハートの形に整形し、それをケースの蓋で抜き取ったピンクの円盤の上に乗せた。ハートケーキのできあ〜がりぃ、なんて歌うように言う。なるほどねぇ。子どもって遊びの中からいろんなことを覚えていくよね。

井上靖著『わが母の記』を読む。原田眞人監督、役所広司主演で昨年映画化されているようだが私は見ていない。80歳から89歳で亡くなるまでの母の様子と、それを取り巻く家族の様子が描かれる。私の母は5年前に87歳で亡くなったが、この作品の「母」のような痴呆症は発症しなかった。誰に迷惑をかけることもなく静かに逝った。言わば理想に近い死に方だったと思う。『わが母の記』は三部構成の、小説ともエッセイともとれる作品だと著者自身も言っている。小説でもエッセイでも、どちらでもいい。骨太で精緻な文体は、どんな形態であれ、落ち着きと風格を感じさせます。風格はどこへ午睡の大鼾(あ)

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