いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

能登の旅終わる

能登の旅3日目。昨日に続いて今日も朝から強烈な陽射し。加賀屋渚館の玄関前で、我々の宿泊した12階フロア担当の妙子さんを交えて記念撮影。妙子さん(名札をつけていたから、そう呼んでいいよね)は、出身は秋田県で、加賀屋に来て11年目だと言っていた。呑兵衛爺連中の戯言にも気品ある絶妙な話力で場を華やかにしてくれた。ありがとう、お世話になりました。

和倉温泉を出発し、途中、能登食祭市場と気多本宮に立ち寄りながら金沢の石川近代文学館を目指す。近代文学館は石川四高記念館内にあり、石川県出身の三文豪(泉鏡花徳田秋聲室生犀星)に関する資料を始めとして、その他石川県に関わりのある作家の資料が展示されていた。浅学菲才にしてその名を存じ上げない作家も多く、これを機に知ることができたのは今回の旅の収穫であった。

近代文学館を出て約500mほど東へ行ったところに兼六園がある。兼六園に隣接して石川観光物産館があって、その2階の寿司屋で昼食を摂る。昼食後は、私だけ兼六園に入る。他は皆、これまでに何回か園内を見学したことがある人ばかり。今の季節は見どころがない、見て回るなら紅葉の季節だ、いや雪景色だとそれぞれ言う。私も、別に見なくてもいいかと最初は思っていたが、でもやはり、次に来ることはもうないかもしれないから写真だけでも撮っておこうと思い直した。時間がなく、回ったのは霞ヶ池を一周しただけ。しかも、兼六園のシンボルである徽軫灯籠を撮り忘れた。と言うか、全く予習していなかったから、徽軫灯籠が園のシンボルであることを指摘されるまで知らなかった。足早に撮った画像を後で確認したら、樹木の真裏に灯籠が隠れ見えていた。

帰路は米原経由で新横浜まで。米原で東海道新幹線に乗り換え、駅発車から間もなくして車内の携帯が一斉に鳴った。緊急地震速報のアラーム音である。同時に停電となり新幹線が停車。冷房が切れ、トイレも使えない状態になる。それでも誰も騒がない。約10分後に運転再開して大事には至らなかったが、もし停電のまま2時間、3時間と経過したらどういう状態になっていたか。冷房がないのは我慢できるとしても、トイレは大変なことになっていただろうなあ、などと運転再開にホッとしていたら、ドア上部の電光掲示に「緊急地震速報は誤報」の文字が流れる。やっちまったな気象庁

予定より約10分遅れで新横浜に到着。軽く食事をしながら、来年の旅行先候補をあれこれ話し合った。さて来年はどこになるか。行く先はあの世と背後霊の言う(あ)

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