いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

読めない案内板

雨上がりの朝、富士山の雄姿を拝むことができるかと思ったが、裾からてっぺんまで厚い雲に覆われて、残念ながら見ることができなかった。世界遺産に登録されてから、地元のテレビやラジオでは毎日のように話題に取り上げられている。私も生きている間に一度は登ってみたいと思うが、今でも年間30万人訪れるという富士山は、これからは益々その数が膨らんでいくことを思うと、些か気持ちも萎えてしまう。親父が元気でいた頃に、親子で富士山に登ることを考えたこともあったが、それも叶わないまま、親父は10年前にあっちの世に旅立った。人生、タイミングが大事だよなあ。私もあっちへ旅立つ前に富士山に登りたいが、山小屋は既に予約で一杯のようだし、山頂まで登るのに行列ができるという。行列に並んでまで登る気はしないな。時既に遅し。もっと早い段階で登っておくべきだった。タイミングを逸してしまった。

共同浴場へ行きがてら、まだ通ったことのない近所の道を自転車で走る。急坂を下りきって右に曲がると、そこが宗光寺区とよばれる地域。田植えを終えたばかりの早苗が、風にそよそよ揺れて気持ちいい。鎌を持ったおばあちゃんがゆっくりマイペースで道路を横切る。メタボ気味の大猫が用水路の脇でじっとこちらを見つめる。時間がゆっくり流れる、のどかで平和な田園風景。ここに茅葺きの水車小屋でも置いたら絵になるだろうなあ、と身勝手なことを考えながらゆるやかな上り坂を進んでいくと、田んぼを挟んだ左手奥に寺院が見えてきた。道端に案内板があって、何という寺か確かめようと思ったら、文字がほとんど消えかかって読めない。案内になっていない。身内でちょこっと手直しすれば済むことなのに、書き直す気がまったくないらしい。でもまあ、これはこれで仰々しい看板よりはいいかあ。案内の用をなさない案山子です(あ)

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