いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

千円札が15枚

風呂場のタオル掛けのアルミ棒がしばらく前に何かの拍子で外れ、これまで棒がない状態のまま過ごしていた。それで特に不自由はなかったが、伊豆の家の修繕にばかりかまけているように受け取られるのも面白くないので、朝一番にホームセンターへアルミパイプを買いに行った。レジで財布を開けたら、千円札1枚しかない。お金はどんな時も知らぬ間にぱらぱらと消えていくもの。そして、今週は通院と痛飲の会合があって、またもぱらぱらと飛んでいく予定。で、同じショッピングモール内のATMで現金を引き出しておくことにした。潔く2万円と入力すればよかったのに、やや躊躇って1万5000円と入れた。こちらは1万円札と5千円札の2枚のイメージだったが、出てきたのは千円札ばかり15枚。折り畳み財布が一気に膨らんでしまった。ATMって、どこでもそうなんでしょうか。9万9000円と入力したら、千円札が99枚出てくるんですかねえ。

島田雅彦著『徒然草 in USA』(新潮新書)を読む。「七〇年代から教養主義への反発が始まり、八〇年代以降サブカルチャー全盛の時代を迎え、今日の大学全入時代に至って、知性の弛緩は著しい。いくら教養主義をバカにしても、教養がないことは自慢にはならない。大学で石を投げれば、本を読まないという学生に当たる。本屋もベストセラーばかり売ろうとする」とは、実際に大学の教壇に立っての感想。「日本の鬱屈はさらに蓄積されてゆく。いつかは爆発するのだろうが、一揆のような形は取らない。おそらく身内や隣人を殺す、その死体をバラバラにする、自殺するといった形態を取るのだろう。おのが欲求不満を吐き出すためにも、本能や感情を爆発させるにも教養が要る。なぜ自分は怒っているのか、何に憤りを覚えるのか、それを言える言葉を持たない人間は惨めである」。思考は言葉で行う。言葉が薄っぺらいと思考も薄っぺらくなる。だから、本をたくさん読んで教養を磨き、いろんな言葉を知って、その言葉で思考を深める、ということですね。そうだ、原点に戻ろう。言霊の幸わう国に生きること(あ)

 

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