いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

先生とまだ呼ばれてる土用次郎(あ)

【写真】学童保育前の花壇。

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右側の小学校校舎には足場がかけられ、只今外装修繕中。米朝氏の話だと、この工事の一部を、あやめ湯で知り合ったスキンヘッド氏の息子さんが請け負っていて、スキンヘッド氏本人もよく顔を出すのだとか。米朝氏はスキンヘッド氏のことを「タコさん」と呼んでいたが、それは二人が焼肉を食いに行ったりカラオケに行ったりする間柄だから言えるのであって、さすがに私はそうは呼べない。

水墨画】白梅(No.2)

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水墨画の墨の濃さには、濃墨、中墨、淡墨の3種類あって、濃墨は硯に残し、中墨と淡墨は専用の皿を用意するのが普通。ところが、横着こいて昨日描いて余った墨を硯の丘で磨り直し、海の墨が淡墨、丘の墨が濃墨でいいだろうと思ったら、よくなかった。側筆で描いたつもりの枝が片ぼかしが出ずに単調な線になってしまった。横着しないで、やはり基本に忠実に描かないといけません。ましてや初心者なんだから。
水墨画になってから紙は画仙紙(ハガキ大)を使っている。この画仙紙は文具スーパーで安売りしている時に買ったのだったか。だいぶ前のことなので忘れた。その時に買ったのが20枚ほど残っていて、今はそれを使って描いている。
これから本格的に水墨画を学ぶとなると、画仙紙はかなりの枚数が必要になりそうだ。水墨画は一度描き損じたら描き直しができない。失敗したら新しい画仙紙に最初から描き直すことになる。実際に前回の「竹」と今回の「梅」を描くのに3枚描き損じた。
こんな調子で画仙紙を使っていたら画仙紙がいくらあっても足りない、書道半紙は大量にあるからそれを使って練習しようと考えて、実際に半紙に描いてみたが、墨の滲み具合がまるで違う。半紙と画仙紙とではこんなにも違うものかというくらい違う。水墨画はやはり画仙紙でなくてはいけないと思い直した次第。
だが、この画仙紙がまた厄介で、種類がたくさんありすぎてどれを使用していいものやら皆目見当がつかない。手当たり次第に試しまくることができればいいが、それだけの金銭的余裕もない。しばらくは廉価な画仙紙で試行錯誤を繰り返していくしかないのかな。

【あやめ湯】18:05〜19:13
久々に米朝氏と会う。風呂場で一緒になったのではなく、外の縁台で。
午後6時1分に職場のタイムカードを押してあやめ湯へ行くと、外の縁台に座って米朝氏と、あやめ湯から路地を一軒奥に入ったホテルの女性従業員と番台のおじちゃんの3人で四方山話をしていた。
ホテルの女性従業員は駐車場係の人で、あやめ湯の真ん前がホテルの駐車場になっているから、予約の車が到着するまでの間、縁台に腰掛けて米朝氏の話し相手になっていることがよくある。
今週から学童の手伝いをしていることを告げ、番台のおじちゃんの後に次いで暖簾をくぐる。
風呂場へ下りると、いちばん奥の洗い場に元饅頭屋さんの背中が見えた。隣の洗い場に並び「お久しぶりです」と挨拶し、その時はそれだけで終わったが、湯から上がって外へ出たら縁台にまだ米朝氏がいて、今度は元饅頭屋さんと話し込んでいた。話題は西伊豆テングサの話。何となく素通りできない雰囲気があって少しばかり立って話を聞いていたら、元饅頭屋さんが腰をずらして私に座る場所を作ってくれた。いよいよ帰れなくなって会話に加わる。
話題はテングサからアジの干物になり、米朝氏は、宇久須の◯◯という干物屋のアジは旨い、下田の干物屋は老夫婦でやっていたが婆さんが死んじまってからアジが落ちた、沼津産のアジと言っているが、あれは真夜中に九州から運んで来たアジを沼津産にして売っている、由比のアジなんかは桜えびを餌に食っているから他のアジとはまるで味が違うだよ、などとまことしやかに言うから面白い。
その後話題は地元の旨い蕎麦屋に移り、韮山の、元長岡温泉旅館の板前がやっている蕎麦屋は旨いという話を元饅頭屋さんから聞いてお開きとなる。
韮山蕎麦屋は初めて聞く名だ。お寺さんに行く手前にあるという。どこだろう。うっ、これは行ってみたくなったぞ。

【タイムラプス】7月27日(木)5:21〜7:43の伊豆長岡の空。35秒。

【歩数】2,544歩。

笛太鼓軽やかに待つ宵祭(あ)

【写真】夏祭りを待つ地区の公民館。

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去年は祭りの前売り券がなくて、せっかく孫たちが遊びに来ていたのに、自販機のジュースしか買ってやれなかった。その反省を踏まえ、今年は「焼き鳥」の前売り券を5枚買っておいた。1枚5本で300円。これにはもちろん私の分も含まれる。

水墨画】竹(No.1)

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ちょうど淡彩画の模写を終えたところで学童保育のお手伝いの仕事が入った。淡彩画の描写法を学んだ後は、実際に外へ出かけてスケッチする運びとなるところだが、仕事の関係でその時間が取れない。でも毎日でも絵を描きたいという思いはあり、本棚にあった『だれでもできる最新水墨画の描き方教室』(山下秀樹著 誠文堂新光社)を手本に、しばらく水墨画の描法を学ぶことにした。
淡彩画という絵があるんだと知る前は水墨画をやりたいと思っていた。もともと書をやっていたこともあって、書と同じように墨や筆で絵を描けたらいいなという、水墨画に対する漠然とした憧れがあった。この本は、そういう思いが強かった時に買ったのだと思う。しかし、日の目を見ないまま本棚の隅っこに追いやられてあった。
それが今、淡彩画を経由して、ぐるり遠回りした格好にはなるけれど、ようやく出番が回ってきた。巡り合わせというのは、どこでどう結びつくか判らないものだなあ。いろんな条件が重なって、改めて水墨画をやろうという気になってこの本を思い出したことに、どこかしら運命的なものを感じないでもない。
この本の特徴は水墨風景画の作例が豊富なところにある。残念ながらカラー印刷ではないので、彩色は自分で想像するしかないが、そこは淡彩画の応用で色をつけていけばいいと思っている。とりあえずは、水墨画の描法をこの本で学び、慣れてきたところで彩色していくとしよう。最終的には、淡彩画と水墨画のいいとこ取りをして、双方の味わいを加味した絵を描けたらいいな、なんて思っている。
さて、水墨画の第1作は「竹」。これは水墨画の「四君子」と言われる、蘭・竹・梅・菊のうちの一つ。これが水墨画の古典的描法らしい。この描法に水墨画の基本が全て含まれているのだとか。書でいう「永字八法」ですね。まずはここから学んでいきます。
著者はこの本の「はじめに」で、「水墨画は”余白の芸術”といわれるように、余白の考え方は大事である。そしてまた”10”を描きたいところを”5”に控えることで、よい作品になることもある」と書いている。
アニメーションを作る上で大事なことは「絵を動かさない勇気」と誰かが言っていたが、この「控える」という考え方はすべての芸術表現の基本なのかもしれない。描きたいことの半分を描き、残り半分を見る人の想像に委ねることが肝要ということと理解したが、そこまで腕を磨けるかどうか……。甚だ心もとないところではあります。

【あやめ湯】18:06〜18:58

【タイムラプス】7月26日(水)6:06〜7:04の伊豆長岡の空。28秒。
撮影を始めて1時間ほどしたら雨がパラパラ降ってきた。小降りだったのでそのまま撮影を続けようとも思ったが、用心に越したことはないと中断することにした。というわけで、今日の雲の動きは少しのろい感じです。

【歩数】874歩。

晩年の趣味の絵ならん百日紅(あ)

仕事2日目は午前勤務。
午前勤務の場合は弁当を作らないといけない。弁当のおかずはエビフライ、かき揚げ、ナス味噌の3品。これ、全部カミさんが作っていったもの。これに庭のミニトマトを入れようと思っていたら、出勤前のバタバタで入れるのを忘れた。だからまるで彩りのないムサい弁当になってしまった。
弁当は子どもたちと一緒に食べる。子どもたちの広げる弁当を見るにつけ、出勤前の慌ただしい時間によくこれだけのおかずを作るものだと、その工夫を凝らした弁当にいつも感心する。それが毎日だものね。子どもを預けて働くお母さんは大変だ。
毎日呑気な暮らしをしている私が、弁当を作るのが面倒くさいなんて言ったらバチが当たります。これからも午前勤務の日は、世の働くお母さんの頑張りを思って弁当をしっかり作ることにします。

【写真】庭のサルスベリ

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庭の百日紅がようやく咲き出した。近所の百日紅はすっかり満開なのにうちのだけは毎年いつも咲くのが遅い。
今年は頭上の低い枝をバッサリ切って見上げる空を少し広くしたが、奥の梅の枝を伸ばし放題にしているから、むさ苦しい感じはさほど解消されていない。
剪定しなければと思うが、こんだけ暑い日が続くとやる気が起きない。と思っているうちに学童保育の仕事が始まった。涼しいうちに剪定しとくんだったなあ。

【水晶苑】15:30〜16:08
午後1時に職場を上がって、碁を打ちに水晶苑に向かおうとしたが、出勤する前にアップできなかったブログのことが気になり、ブログをアップするために一旦家に戻ることにした。
時間的には職場からそのまま水晶苑へ向かえば碁を打てるかもしれないが、なんとなくせわしない気がして、少し家でのんびりしたい気分もあった。昨日今日と、久々の仕事で体が疲れていたのかもしれない。
家で少し体を休め、午後3時を過ぎたところで改めて水晶苑に向かう。行くと駐車場に看板氏の軽トラが駐まっていた。
風呂場には看板氏と、家を持たないでキャンピングカーで暮らしているという人と、ビーチサンダルを履いて体を洗う人がいた(なぜビーチサンダルを履くのか一度訊いてみたいと思ったこともあったが、そのことに触れてはいけないような雰囲気を持っていた)。私が碁の仲間に加わる前の頃の、いつも3時半頃に風呂場にいる顔見知りの人である。
そこへ、その日のトリを務めるアマデウス3時半氏が登場した。それと入れ替わるようにキャンピングカー氏が出て行き、ややあってビーチサンダル氏が出て行く。これで大相撲千秋楽の三役揃い踏みではないが、気の置けない3人が揃い、話す口も自然と軽くなる。
今日の話題は「かわかんじょう」。私が「かわかんじょう」をまだ見たことがないと言うと、それはぜひ見たほうがいいと看板氏が言い、神島橋の上から見るのがいちばんだとアマデウス氏が言う。ああ残念、その日は孫の世話で見られないと私が言うと、お孫さんを連れて行って川べりで遊ばせておけばいいきっと喜ぶよと看板氏は言ってくれたが、うちの孫はそんなタマじゃない、ちょっと目を離した隙に勝手にどこかへ行ってしまう孫だと答える。ほんと、そうなんです。怖くてとてもそんな人混みに連れてなんか行けません。何かあっても責任が取れません。

【タイムラプス】7月25日(火)5:20〜7:17の伊豆長岡の空。29秒。

【歩数】1,292歩。

褌の尻火照り伊豆夏祭(あ)


午前10時半、「じゃあ、あたし行くから。日曜に子どもたち(孫)を連れて来るから」と言ってカミさんは車で仕事場に向かった。

カミさんは30日(日)と31日(月)は休みが取れたが、8月1日(火)は休めないと言う。それで、この日一日孫の面倒を見るために私が仕事を休むことになった。ああ私一人で孫の面倒を見るのか。なんてこった。

その仕事が今日から始まった。

初日の今日、私の顔を見て学童の子どもたちがどんな反応をするか、興味津々で出かけた。午後1時前に職場に着くと、日々雇用職員ということで、下駄箱もロッカーもあてがわれず、荷物をここに入れてくださいとカゴを一つ渡される。そのカゴに、脱いだ下足と湯屋グッズを入れる。

子どもたちは部屋の明かりを消してビデオを見ていた。子どもたちにビデオを見せておいて、その時間に午前の部と午後の部の業務引き継ぎを行う。通常は、そこで打ち合わせ中のスタッフに代わって日々雇用職員が子どもたちの様子を見ることになっていて、そのつもりで部屋に入ろうとしたら「ちょっと待って」とリーダーに止められた。「今、先生が入って行ったら騒ぎになってビデオを見るどころじゃなくなる」というわけだ。

私が学童に再び登場するという噂は随分前から子どもたちに広まっていて、今日の日を手ぐすね引いて待ち構えていたようだ。私と将棋を指したがっている3年生、碁を打ちたがっている4年生がいて、私が来るのを楽しみにしていた子がいるとスタッフの一人が教えてくれた。

嬉しいことである。そんなにまで私を待ってくれていたのかと思うと、今回の手伝いを引き受けてよかったなと素直に思う。

ビデオの時間が終わり、今日の当番のスタッフが前に立って私ともう一人の日々雇用職員を紹介する。私はずらりと並んだ子どもたちの顔を見ながら、私を受けて入れてくれているムードを感じていた。子どもたちの反応は、思っていた以上に好印象だった。

一言ご挨拶をと当番のスタッフに促され、それこそ一言「また、みんなと一緒に楽しく遊びに来ました」とだけ言った。

3時のおやつまでの自由時間に4年の男の子と将棋を指し、続いて私と将棋を指したがっていたという3年の男の子と二番続けて将棋を指した。3年の子は去年は回り将棋を一緒にやった子だったが、その子が本将棋をやるとは知らなかった。藤井四段の連勝快進撃に触発されて本格的に将棋をやる気になったのかもしれない。

私が将棋の相手をしている間にも、私に絵を描いてくれとやいのやいの急き立てる2年生が二人いて、将棋が終わってから、リクエストのあった図鑑の模写をする。一人は魚の絵、もう一人は猫と犬の絵。絵を一枚仕上げるのに5分少々。以前に比べて描くスピードがかなりアップしたことに我ながら驚く。これも、これまで日々取り組んできた模写の成果かと思うと、ちょっぴり嬉しい。もっとも、子どもたちには「ためらい線」が雑に描いているように見えたらしく、もっと丁寧に描いてくれと注文をつけられたが……。

おやつの後は4年の女の子と囲碁(13路盤)。石をわざとベタベタくっつけて取られの図を作ってやった。その子は陣地を広く囲った方が勝ちという本来の囲碁の勝敗よりも、石を多く取れたことが嬉しかったようだ。まあ、囲碁の本来の楽しみをね、おいおい教えて行こうと思う。

てな具合で、初日の日々雇用の仕事は終了。子どもと遊ぶのが仕事という仕事だが、久しぶりに子どもと真面目に遊んで、結構疲れました。


【写真】「かわかんじょう」のポスター。

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毎年8月1日に行われる大仁の祭。一度見たいと思っていて、まだ一度も見たことがない。今年こそと思ったが、今年はその日まる一日孫の面倒を見ることになった。しかも私一人で。一人で孫を連れて祭りを見に行くなんて、そんなの無理、無謀。というわけで今年も「かわかんじょう」は、残念ながら見られない。


【あやめ湯】18:06〜18:57


【タイムラプス】7月24日(月)6:01〜8:03の伊豆長岡の空。30秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10213783500803919/



【歩数】1,069歩。

地の幸は譬へば気まぐれ茄子の籠(あ)

昨日、小田原で孫の世話をした後、夜、カミさんの運転で伊豆に戻ってきた。

私の立場から言えば「戻ってきた」だが、カミさんの感覚だと「伊豆へ来た」となる。私はすでに伊豆の人だが、カミさんは住所を伊豆に登録してもまだまだその気になれないといった感じです。

この感覚の違いは、互いに住んでいるところが別々なんだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、私は、こうして距離を置いて暮らすのも悪くない気がしている。毎日絵を描き、碁を打ち、温泉に浸かっていると、一人暮らしなんてちっとも寂しく感じない。むしろ一人暮らしの方が好きなときに好きなことができるから気楽でいい、てなもんです。

でも、今の一人暮らし満喫期間も残すところ後8ヶ月。来年4月からカミさんも伊豆で暮らすとなると、さてどんな具合になるのやら。少なくとも今の楽しい趣味の時間を潰すことのないようにしてもらいたいものです。

昔、「亭主元気で留守がいい」というCMが流行したことがあったが(1986年の流行語大賞銅賞、へええあれから31年も経つのか)、あれは今も耳に残る強烈なフレーズだった。個人的には名誉金賞にしてもいいくらい。ちなみにこの年の金賞は「新人類」。

あのフレーズは妻から見た理想の亭主像を見事に言い得たものだが、ようやくリタイアにたどり着いた定年亭主の立場から捉えれば、亭主もまた一人の時間を欲しいと思うものである。

一緒に生活していても、それぞれがそれぞれの好きな時間を持てれば、それがいちばんいいのかなという気がする。朝から晩まで顔を付き合わせることで互いにイライラを募らせるのならば、ある程度距離をおけばいい。無理して一緒にいることもない。所詮夫婦とはその程度の関係だと分別している。


【写真】水汲み場の「気まぐれサービス」。

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大仁地区の水道水が実は湧き水を利用しているのだと知って、それならわざわざ湯ヶ島まで水を汲みに行かなくてもいいやと思っていた。ところがカミさんに、「そろそろ(湯ヶ島の)水、ないんじゃない? 汲みに行かなくていいの?」と言われ、これこれこうで、もう行かなくてもよくなったんだと言おうと思ったが、せっかくカミさんが行く気になっているので汲みに行くことにした。

家を午後2時半過ぎに出て、湯ヶ島の水汲み場へ着いたのが3時過ぎ。車で約30分。修善寺の有料道路のガードを潜った辺りから上り車線の渋滞が目立って来た。南伊豆や西伊豆で行楽した帰りの車のようだ。修善寺で3時なら箱根を下った出口では5時くらいになるか。それからさらに横浜へ1時間、東京へ2時間、ずっとラッシュの中を走るんだね、ご苦労さん、とすっかり地元目線になっている。

水汲みの帰りは渋滞を避けて、狩野川の対岸の道を修善寺駅へ走った。これががら空きで正解。

ここでの水汲みの楽しみの一つに「気まぐれサービス」がある。地の農家の人がとれたて野菜を無料サービスしてくれるのだ。今日の野菜はナス。まるまる肥えたナスが袋に3本入り、日焼けしないように丁寧にタオルをかけてある。カミさんは、「今晩はこれでナスの天ぷらにしようかしら」とご満悦。もちろん私も諸手を挙げて賛成。

ところが、家に着いたら、天ぷらを揚げるのが面倒くさい(カミさんは油を大量に必要とするとかで、電気フライヤーを使おうとしない)と言い出し、結局、メニューはナス味噌に変更となった。でも、それはそれでナス味噌は私の好物だし結果オーライ。美味、ごちそうさまでした。


【タイムラプス】7月23日(日)5:39〜8:05の伊豆長岡の空。36秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10213771737189836/


【歩数】1,878歩。

水風船放り幼子虹描く(あ)

【写真】ヒメイワダレソウ(姫岩垂草)

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今日は孫の世話で小田原に呼び出される。
孫の家に着くと、孫は兄妹で仲良く水風船で遊んでいた。水風船とは皮の薄いヨーヨーのようなもので、それに水道の蛇口から水を入れて膨らませ、地面に叩きつけて破裂させるのである。
ただそれだけのことだが、これがめっぽう楽しいらしい。しまいには家から爪楊枝を持ってきて、水風船を頭に乗せて突いて割ってびしょ濡れになって……おバカだねえ。夏休みに入ったばかりの浮かれ気分が満帆に膨らんでいたんだね。
写真の花はヒメイワダレソウ。孫の家の玄関アプローチに咲いていた。後ろの孫二人は、びしょ濡れになった服を着替えて出直してきたところ。今度濡らしたら着替えないからねと言ったところで、聞く耳持たず焼け石に水のお二人さんなのでした。

【淡彩画】自転車(No.140)

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ポイントは「パイプや棒状の素材が多く使われているので一見複雑だが、細部を正確に描こうとせず、線を重ねたり交差させたりして機械的な構造の雰囲気を表す」こと。
正確に描こうとせず「なんとなくそんな感じ」に見えるというところがあらゆる絵のキモなのでしょうが、これがなかなか一筋縄ではいかない。「言うは易く行うは難し」です。
今回の140枚目で、独学による模写はようやく終了した。しかし、問題はこれから。むしろ、ここからがスタートだと気を引き締めています。
『風景スケッチ モチーフ作例事典』(野村重存著 大泉書店)という本と出会い、最初に模写したのが「梅の花」。今年1月30日に描いている。あれから140回、全ての作例を描き上げるのに約半年を要したことになる。
その間に数知れないたくさんのことを学んだ。いや、数は知れている。140だ。140種類のモチーフの描き方を学んだ。そのことに時間を費やせばあのことができないように、絵を描く時間が増えればそれだけ本を読む時間が減る勘定で、最近はまとまった読書をしていない。
絵と本を天秤にかけて、どちらを優先するかという問題は私にとってはかなり重要で、読みたい本が山とあるのに読む時間を絵に取られるのは非常に辛いものがある。
辛いと思うんだったら絵を描くのをやめて読書の時間を増やせばいいではないかと思うが、それができない。絵を描く楽しみを知ってしまった以上、今となってはやめるわけにはいかないのである。
絵は見て楽しむタイプと描いて楽しむタイプがあるようだ。もちろん私は後者。思えば絵に限らず、私は何かを見るとか聴くとかいうよりも、自分でやってみたいと思うタイプらしい。ねぶたもそうだし、ショートアニメーションを作ってみたいと思ったのもそうだった。ここはどういうふうに作るんだろうという目でアニメーション作品を追っかけていた、そんな気がする。
アニメーションは本来動かない絵を動いているように見せる芸術だと思っていて、動かないものをどんなふうに動かすとそれらしく見えるかという点に興味を持っていた。それが、ある時、背景も重要なポイントであると気づき、それ以来、いろんなアニメーションに使われる背景の描き方に徐々に興味が移っていった。そしてそのことが、今の風景スケッチの模写へとつながっている。
面白いもので、そうなると普段見る景色を「絵になるか、ならないか」という目で見るようになる。写真を撮るのもそう。その写真に写る風景のようなを絵を描けないかと思って撮るのである。写真だと自分で見ていない風景の一部も一枚の風景全体に写ってしまうが、絵は見えるところしか描かない。当たり前のようだけど、これが写真と絵の違いかなと思っている。だから、ここの風景は私にはこう見える(このようにしか見えない)という個性がより濃く表現されるのだと思う。
とかなんとか偉そうなことを言える身分ではないが、絵に向き合う姿勢として、私はそういう向き合い方をしたいと思っている。

【歩数】8,254歩。


閑さをひと時と決め蝉の声(あ)

【写真】ニイニイゼミアブラゼミ

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朝、ごみ収集所に行く途中で、路面に蝉がひっくり返っていた。近寄って見ると、これがニイニイゼミ。足をもごもご動かしている。あまりの暑さに頭がくらくらして幹から落っこちたか。

自力で体勢を立て直そうともがいているのか。よしよしならば助太刀いたそうと、指で摘んであるべき姿に戻してやった。もう飛ぶ力はなさそうだった。

2、3枚ばかり写真を撮っていると、背後の家から人が出てくる気配がした。声がない。路面に這いつくばって何をしているのだこの人はと、きっとそんな目で私を見ているのだろうと思って、ぱっと立ち上がり「実はニイニイゼミが……」と、自分のしていたことを説明する。その人は左手にゴミ袋を提げ、右手に日傘を持った年配の女性だった。

並んでごみ収集所まで歩く。

「毎日暑いですね」と女性。

「ほんと、暑い日が続きますね。朝からこんだけ暑いと、ゴミを捨てるのも容易じゃありませんね」と私。

「そうですねえ、お宅はどちら?」

「何と言えばいいでしょう、この(坂の)上のホテルの近くです」

「あっ、そう、2丁目?」

お宅はどちらと訊かれて、目安となる建物を言うとおおよその見当をつけてもらえると思ってホテルのことを言ったが、相手が知りたかったのは番地だったみたい。ホテルも同じ2丁目なんだが、ホテルのことはご存じなかったのだろうか。

あのホテルの知名度はイマイチらしい。駅前のタクシーの運転手も知らなかったりする。津軽三味線教室と山魚亭の方がよほど知名度が高い。

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こちらはアブラゼミ。ゴミを捨てた帰りに、それこそホテル横の道で、こちらは息絶えていた。ニイニイゼミと違って珍しくも何ともない蝉だが、せっかくだから写真を並べてブログに載せておこうと思って撮った。

日中こいつが鳴き出すと、いやが上に暑苦しさを増す。それに比べて、ニイニイゼミやヒグラシは鳴き声が涼しげでいい。

私は床を敷く部屋の窓を開け放して寝る人だが、今は、朝4時20分にヒグラシが鳴き出すと布団をたたみ、5分後にニイニイゼミが鳴き出すとお湯を沸かしてコーヒーを淹れる。窓辺に座ってコーヒーを飲みながらメールをチェックしていると、そのうちウグイスが鳴き加わる。これが4時30分。誰が決めたわけでもないが、鳴く順番は必ずそうなるから面白い。

こうして天然の癒しを浴びながら過ごす2時間が、一日のうちでいちばん頭が冴える。ブログを書くのもはかが行く。

しかし、6時30分を回るともういけない。アブラゼミがけたたましく鳴き出す。そうなると、ヒグラシもニイニイゼミもすっかり鳴りを潜め、後はすっかりアブラゼミの独壇場となる。

芭蕉の句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の「蝉」はニイニイゼミアブラゼミかという論争があった由だが、私は「しみ入る」のは、ニイニイゼミの声でなければいけないと思っている。アブラゼミだとやかましすぎて思考が乱れると思っているのである。


【淡彩画】路面電車(No.139)

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ポイントは「横から見れば長い車体でも、正面近くから見ると側面は縮んで短く見えることに気をつけて、よく確かめながら描く」こと。

車体後部の屋根が高すぎる。この部分だけ遠近法で描かなかったのはどうしたわけか。あと一枚描けば手本の模写は終了となる段階になっても、なおこんな初歩的なミスをするなんて情けない。基本に立ち返って、もっときちんと確かめながら描かないといけない。


【水晶苑】13:09〜16:15

建材氏と白番で2敗、黒番で1勝。白髭氏に3子置いて負け。


【タイムラプス】7月21日(金)5:34〜7:42の伊豆長岡の空。31秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10213750181090947/


【歩数】2,850歩。